irotone

平和祈念展示資料館

施設の紹介


ノア
ノア

ここが平和祈念資料館かあ。 オフィスビルの中にこんなところがあるなんて、知らなかったな。

キャスター先生
先生

そうだね。先生、どこにエレベーターがあるのかわからなくて迷っちゃったよ。

ノア
ノア

先生、ここに「シベリア抑留中の生活」って書いてあります。 シベリア抑留ってなんですか?

キャスター先生
先生

第二次世界大戦末期に、当時の満州などにいた日本兵と民間人が、旧ソ連軍によって捕虜にされ、シベリアの強制収容所に2年から10年近くにわたって抑留され、強制労働をさせられたんだ。それを、シベリア抑留というんだ。

ノア
ノア

10年近くも!? 「氷点下の寒さの中で労働が続いた」って書いてあります。 こんな環境で、人は生きていけたんでしょうか。

キャスター先生
先生

うん。とても厳しい状況だったんだ。 旧ソ連の収容所には何十万人もの日本人が送られた。 寒さ、飢え、そして孤独と向き合いながら生きたんだよ。

フミコ
フミコ

本当に寒かったです。 手袋もなくて、手が切れて血が出ても、作業を止めることは許されませんでした。 それでも、仲間と励まし合って、何とか生きようとしていました。

ノア
ノア

フミコさん……。 あっ!スプーンがたくさんある!

フミコ
フミコ

なつかしい。私も作りました。

ノア
ノア

これは全部手作りなんですか?

フミコ
フミコ

そうですよ。ほかにも、コップなどの生活に必要なものや、麻雀牌などの娯楽用品、いろいろなものを作りました。

ノア
ノア

すごいですね。

フミコ
フミコ

自分たちで作らなければ、何もないですからね。「早く帰りたい」「絶対帰ってやる」そんな思いをこめながら作りました。

キャスター先生
先生

ノア、こっちには「帰国への道のり」というコーナーがあるよ。

ノア
ノア

本当だ。 戦争が終わっても、すぐには帰れなかったんですね。

キャスター先生
先生

国の事情や移動手段の問題で、多くの人が何年も待たされたんだ。

フミコ
フミコ

引揚船に乗ったとき、やっと夢が叶った気がしました。 でも、港に着いても、もう家族がいなかったり、なかなか仕事が見つからない人もいました。 「帰る」って、嬉しいだけじゃなかったんです。

ノア
ノア

帰れることがゴールじゃなかったんですね。

キャスター先生
先生

その通りだよ。 だからこのミュージアムでは、“帰還した人のその後”までを紹介している。 平和の中で生き直そうとした人たちの姿を伝えているんだ。

ノア
ノア

このミュージアムでは、過去を伝えるだけじゃなく、“平和を守る意思”を次の世代に託しているんですね。

フミコ
フミコ

あの時代を生きた人たちの想いは、今もここに残っています。 それを受け取って、考えてくれる人がいることが、何より嬉しいです。

ノア
ノア

ぼく、ちゃんと覚えておきます。 この場所のことも、ここにあった言葉も、ぜんぶ。

写真集

資料館を取材したときの写真です。(2025年7月撮影)

平和祈念展示資料館-1 平和祈念展示資料館-2 平和祈念展示資料館-3 平和祈念展示資料館-4 平和祈念展示資料館-5

アクセス

コピーしました!
先頭へ