ここが平和祈念資料館かあ。 オフィスビルの中にこんなところがあるなんて、知らなかったな。
そうだね。先生、どこにエレベーターがあるのかわからなくて迷っちゃったよ。
先生、ここに「シベリア抑留中の生活」って書いてあります。 シベリア抑留ってなんですか?
第二次世界大戦末期に、当時の満州などにいた日本兵と民間人が、旧ソ連軍によって捕虜にされ、シベリアの強制収容所に2年から10年近くにわたって抑留され、強制労働をさせられたんだ。それを、シベリア抑留というんだ。
10年近くも!? 「氷点下の寒さの中で労働が続いた」って書いてあります。 こんな環境で、人は生きていけたんでしょうか。
うん。とても厳しい状況だったんだ。 旧ソ連の収容所には何十万人もの日本人が送られた。 寒さ、飢え、そして孤独と向き合いながら生きたんだよ。
本当に寒かったです。 手袋もなくて、手が切れて血が出ても、作業を止めることは許されませんでした。 それでも、仲間と励まし合って、何とか生きようとしていました。
フミコさん……。 あっ!スプーンがたくさんある!
なつかしい。私も作りました。
これは全部手作りなんですか?
そうですよ。ほかにも、コップなどの生活に必要なものや、麻雀牌などの娯楽用品、いろいろなものを作りました。
すごいですね。
自分たちで作らなければ、何もないですからね。「早く帰りたい」「絶対帰ってやる」そんな思いをこめながら作りました。
ノア、こっちには「帰国への道のり」というコーナーがあるよ。
本当だ。 戦争が終わっても、すぐには帰れなかったんですね。
国の事情や移動手段の問題で、多くの人が何年も待たされたんだ。
引揚船に乗ったとき、やっと夢が叶った気がしました。 でも、港に着いても、もう家族がいなかったり、なかなか仕事が見つからない人もいました。 「帰る」って、嬉しいだけじゃなかったんです。
帰れることがゴールじゃなかったんですね。
その通りだよ。 だからこのミュージアムでは、“帰還した人のその後”までを紹介している。 平和の中で生き直そうとした人たちの姿を伝えているんだ。
このミュージアムでは、過去を伝えるだけじゃなく、“平和を守る意思”を次の世代に託しているんですね。
あの時代を生きた人たちの想いは、今もここに残っています。 それを受け取って、考えてくれる人がいることが、何より嬉しいです。
ぼく、ちゃんと覚えておきます。 この場所のことも、ここにあった言葉も、ぜんぶ。
資料館を取材したときの写真です。(2025年7月撮影)